幼い娘へ、本物の絵画を見せてきました。
家には、私たち日本画家の夫婦が描いたスケッチや、本画(岩絵具で描いた絵)が、常にありました。
休みには、親子で美術館に通いました。
本物を見続けると、偽物が感覚で分かります。
「何かが、変だ」と、本物に触れた時とは違う違和感を、察知できるようになるのです。
娘は美術館で名作を見慣れていたからか、毎年の公募展で、私たちの絵が落選しそうなときは、分かっていました。
一番率直な審査員でした。
米国アイビーリーグでサイエンスを学ぶ娘との日々で気づいた、世界のエリート・富裕層を育てるための教養講座。
幼い娘へ、本物の絵画を見せてきました。
家には、私たち日本画家の夫婦が描いたスケッチや、本画(岩絵具で描いた絵)が、常にありました。
休みには、親子で美術館に通いました。
本物を見続けると、偽物が感覚で分かります。
「何かが、変だ」と、本物に触れた時とは違う違和感を、察知できるようになるのです。
娘は美術館で名作を見慣れていたからか、毎年の公募展で、私たちの絵が落選しそうなときは、分かっていました。
一番率直な審査員でした。
京都にある、私の画廊では、梅の花が満開です。
幼い頃から植えてある紅梅の、気高い香りが、庭に漂っています。
母に抱かれて、1歳の私が、梅の花へ小さな手を伸ばしている写真が残っています。
幼い頃の思い出は、ふとしたときに、脳裏をよぎります。
娘を見ているとき、気がつくと、自らの幼い頃に重ねて見ています。
「私も、自然の中で遊ぶのが好きだった」
「私も、ずっとお母さんに抱かれていたかった」
満たされなかった、切ない思いも重なります。
娘は娘、私は私なのですけれど。
子供をアメリカへ送るときに、自分自身の子供時代も一緒に、見送ったように思いました。
寂しさと、保護者としての役割を全うした安堵が、涙になりました。
保護者でいる間は、心の中に住む、小さなままの私も、一緒に育てていたのでしょう。
空港で、2人の子供を見送りました。
ようやく、1人の大人としての、親になれた気がします。
子育ては、種まきの時期が長いのです。
すぐには花開かない種を、子供が小さな頃から、心の中に植えていきます。
ひとつ、ひとつ、毎日。
いくつ撒いても、花が開かないように見えることも、ありますね。
反抗期には、育て方を間違ってしまったような気になります。
それでも、その時期が来れば、必ず花開きます。
愛の花です。
自分を愛し、人を愛することで開く花です。
愛に満たされた大人に育てることが、親の、最大の仕事だと感じます。
子供の未来を、親が先取りして心配しないように、気をつけていました。
娘が「アメリカへ留学したい」と言い出したときに、危ない国だよと、心配してくれた人たちがいました。
愛情からの反対だったので、嬉しかったです。
ですが娘へは、「気にしないでいいよ」と伝えました。
親が思う以上に、子供は、自分の未来を見通していると感じます。
親のことも、よく分かっています。
その上で、自分のやりたいことを言っているのですから、しなくていい心配は、する必要ないですね。