【教育】褒めることで、人を褒める語彙力つけさせる。

娘を育てた時代は、「褒めて育てる」と「褒めないで育てる」という、両極の育児論が流行していました。

私は「褒めて育てる」を推奨します。

親が子供を褒めることで、子供のボキャブラリーに「人を褒める言葉」が蓄積されていくからです。

人間関係のトラブルの多くは、言葉が足りなかったり、表現が本意からズレていたり、コミュニケーションが上手く取れない時に起こりがちです。

子供の語彙は、面白いくらい、親が使う言葉ソックリですね。

テレビや学校で流行している言葉を面白がって話したりもしますが、普段の言葉は、家族が使う言葉と同じです。

子供に使って欲しい言葉を使うことで、子供の人間関係を、間接的に向上させることができます。

 

【教育】努力の本質を知る知性の育て方

海外留学をするために必要な努力と、海外留学先で評価されるために必要な努力は、違います。

娘には留学先で高い評価を得て欲しいと願っていました。

ではどのような努力が、高い評価を得られることに繋がるのか。

それは、「ゴールの前の過程を観察させる」という教育で、叶えられたと感じます。

成功そのものに注目するのではなく、そこに至る経過に関心を持つように、日常の会話を工夫しました。

例えば、全国模試で上位に入ったときも、「すごいね」と褒めて終わるのではなく、「なぜ、その結果になったのか」と、親から見た過程を伝えます。

娘にとっては、過程をフィードバックできることで、自分の成功パターンを思考へインプットできます。

 

欲しい結果を得るためには、どういう種類の、どの程度の努力をするべきかを知る思考力が不可欠です。

私はアーティストをプロデュースする仕事をしていますが、勤勉であっても評価されないアーティスト志望者は、努力の方向が間違っている人がほとんどです。

努力というものの本質を理解させ、欲しい結果を手にする子供に育てることは可能です。

 

 

 

 

 

【娘への手紙】尾形光琳の《燕子花図》屏風

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そちらは、やっと桜が咲いたようですね。

アメリカから遊びにいらしたJimさんが、「NY の近くはまだ寒い」と仰っていました。

京都は花の季節が終わり、新緑に彩られています。

 

先日、東京の根津美術館へ行きました。

尾形光琳の《燕子花図》の屏風を見るために。

根津美術館

六曲一双の、細長い作品よ。

6箇所で、折れ曲がるから、六曲。

2枚の屏風で1セットだから一双。

屏風は、端っこを引っ付けて、折れ曲がる箇所を数えるのよ。

テーマは『伊勢物語』の「八橋(やはし)」です。

こんな話です。

昔、ある男がいました。その男は、京都では自分が人に求められていないと思い、京都にはい、いるまい、東のほうへ、住むべき国を見つけようと出かけました。大勢ではなく、友を一人か二人だけ連れて行くつもりで、そのようにして出かけました。道を知る人もなくて、途中迷いながら進みました。そして、三河国の八橋というところに着きました。そこを八橋というのは、川の流れが、まるで蜘蛛の手のように、八つに分かれており、八つの橋を渡したので、、八橋というのです。その水辺のほとりの木陰に下りて座り、携帯用に、干しておいた飯を食べました。その水辺には、燕子花の花がたいへん楽しげに咲いていました。それを見てある人が「かきつばたという五文字を、歌の句のそれぞれの一文字目に据えて、旅の心を詠め」と言うので、詠んだ歌があります。

 唐衣を着るように、ふだんから慣れ親しんだ妻と別れて、はるばると旅に出て来たことが思われる。

原文:からころも 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ

と詠んだので、皆、干した飯の上に涙を落として、飯がふやけてしまいました。

美術館の庭園には、燕子花が咲いていました。

まるで平安時代に、迷い込んだようでした。

【娘への手紙】生まれ育つ場所の色

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昨日は、すごい雪だったのね。

最初、エイプリルフールの冗談かと思ったわ。

だって、京都は春爛漫。

京都の円山公園の枝垂れ桜は、満開でした。

桜の花びらが風に舞って、人々の髪を飾っていました。

円山公園は、明治時代の、稀代の庭師、小川治兵衛が作った庭よ。

あの付近は、明治の富豪が集まった土地でもあるの。

そして、もうすぐ東山が、新緑に彩られるわね。

柔らかい黄緑、瑞々しい深緑、木々の形をした宝石が輝いているように。

緑色への感受性は、東山で育まれたみたい。

なんて美しい場所に住んでいるのだろうと、心が震えるわ。

あなたも、そんな場所で、生まれ育ったのよ

【教育】本物に見慣れる効果

幼い娘へ、本物の絵画を見せてきました。

家には、私たち日本画家の夫婦が描いたスケッチや、本画(岩絵具で描いた絵)が、常にありました。

休みには、親子で美術館に通いました。

本物を見続けると、偽物が感覚で分かります。

「何かが、変だ」と、本物に触れた時とは違う違和感を、察知できるようになるのです。

娘は美術館で名作を見慣れていたからか、毎年の公募展で、私たちの絵が落選しそうなときは、分かっていました。

一番率直な審査員でした。

【教育】親離れをさせるとき、自分の子供時代を手放す。

京都にある、私の画廊では、梅の花が満開です。

幼い頃から植えてある紅梅の、気高い香りが、庭に漂っています。

母に抱かれて、1歳の私が、梅の花へ小さな手を伸ばしている写真が残っています。

 

幼い頃の思い出は、ふとしたときに、脳裏をよぎります。

娘を見ているとき、気がつくと、自らの幼い頃に重ねて見ています。

「私も、自然の中で遊ぶのが好きだった」

「私も、ずっとお母さんに抱かれていたかった」

満たされなかった、切ない思いも重なります。

娘は娘、私は私なのですけれど。

 

子供をアメリカへ送るときに、自分自身の子供時代も一緒に、見送ったように思いました。

寂しさと、保護者としての役割を全うした安堵が、涙になりました。

保護者でいる間は、心の中に住む、小さなままの私も、一緒に育てていたのでしょう。

空港で、2人の子供を見送りました。

ようやく、1人の大人としての、親になれた気がします。

【娘への手紙】不屈の人

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この写真は、東京新国立美術館での、安藤忠雄展で撮影したのよ。

光の教会の、原寸大のレプリカがあったの。

安藤忠雄氏の、不屈の精神に、いつも心を打たれます。

独学で、世界の建築だけではなく、あらゆる教養を学んだのよ。

あなたも、たった1人で、知らない国へ行ったのね。

苦しいことも、泣きたいことも、あったでしょう。

私には、想像もできないことも、あったはずね。

でもあなたは、文句1つ言わずに、乗り越えてきた。

あなたの、最高に素晴らしいところは、どんなに難しい状況に見えるときでも、前に進もうとするところよ。

歩みは、ゆっくりだけれど、いつしか大きな業績を挙げている。

愛らしい笑顔の、不屈の人。